シメギウムの雑記

変わり種の映画をまったり紹介していきます Twitter:@Nina_Shimegi

デビルシャークについて(デビルシャークと私 寄稿文)

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この文章はサメ映画ルーキー(@Munenori20)さんの企画「デビルシャークと私」に寄稿した文章の加筆修正後のフルバージョンです。

サメ映画ルーキー on Twitter: "【告知】 サメ映画学会オンライン会議およびお年玉企画「デビルシャークと私」を1/11(金)23:00(日程変更しました)から配信致します。詳細は以下の通りです。奮ってご応募ください。… "

皆さんの文章ほんと面白かったです!!

ただ皆さんデビシャを憎んでいるみたいなのでこれを見て少しでも好きになってくれれば幸いです

 

[以下本文]

私がデビルシャークを知ったのは言うまでもなくクソ映画としてだ。当時の私は恐怖キノコ男や怪奇ウサギ男、実写版デビルマンなどお世辞にもマトモとは言い難い映画ばかりを見ていた。しかし、それらに並べてもやはり格落ちしない底辺映画ぶり。様々な点でオンリーワンのクソ映画と言えるだろう。このタイプのサメ映画ではお約束の尺稼ぎフリー資料映像連打とロングウォーキングはまだ序の口、キーマンのエクソシストや修道女が殆ど出てこず死ぬシーンすらマトモに用意してもらえなかったり、予め用意しておいた適当なCGをAviUtlを使い始めた中学生レベルで反転縮小回転して使い回し続けたり、唯一の捕食シーンを『ロストジョーズ』から丸々流用したり唐突に嘔吐したりとその愚行は枚挙に暇がない。

唐突だが、私は映画を監督で選ぶことが多い。私のようなゲテモノ映画好きは見つけた映画を監督の他作品も観ることで骨の髄までしゃぶり尽くすのだ。当然骨どころか肉も皮も可食部がゼロに等しいデビルシャークも例外ではない。デビルシャークの監督ドナルドファーマーが他にどんな映画のようなゴミを撮っているのか。いや、もしかしたらファーマー自身がテロリストにでも脅されて渋々あんな生物兵器を作ったという可能性もなくはない。そんな打ち砕かれると分かりきった想いを抱きながら私は彼の作品で地獄めぐりを始めたのだ。ここではその中でも彼の代表作を彼の遍歴と共にいくつか紹介する。

1987年『Cannibal Hookers』でファーマーは映画監督デビューする。

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日本語に訳せば「人喰い売春婦」といったところだろうか。1980年代後半といえばホラー映画界が従来のテンプレ路線から変遷を遂げようとしている転換期の時代。しかし案の定ファーマーがそんな大層なシナリオを考えることができるはずもなく、その内容は人喰い男の家で売春婦のふりをする女子学生グループが男同様に人肉に手を染めるというちょっとひねりを入れた程度の直球なもの。とはいえ、スラッシャー映画でもあるこの作品にシナリオを求めるのはお門違いであり、ゴア描写さえしっかりしていればスラッシャー映画としては及第点であろう。それは腸や心臓などの臓物をプラスチックや段ボール、厚紙で作っていなければの話であるが。これでも実際のところデビルシャークに見られた他作品からのCG流用や資料映像の垂れ流し、意味もない徒歩シーンやジョギングシーンがないだけマシである。即ち、ファーマー監督は僅かではあるがデビュー当時に比べ、手を抜くことを覚え、退化してしまったのではないか。そんな批評を思い浮かべながらラスト10分のクライマックスとは言い難いクライマックスを適当に観ているとそれは突然現れた。そう、嘔吐シーンである。

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デビルシャークの代名詞ともいえる何の脈絡もない嘔吐シーンはデビュー当時から既に使われていたのだ。

更に何を血迷ったかこのCannibal Hookersは昨年2018年にリメイクされた。

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それが映画と呼ぶには程遠いホームビデオであったことは想像に難くないだろう。寧ろオリジナルより悪化しているシーンまである。厚紙で作った真っ白な心臓や赤い絵の具を混ぜた水で表現された血と思われる赤色透明な液体、似せる気が一切見受けられない腸と思われしソーセージ(男の腹を裂いて出てきたソーセージを女五人が裸で食するシーンはどこか前衛的な芸術作品のようにも見える)そして何よりオリジナルの映像をそのままリメイクで流用する手抜きっぷりは流石ファーマーと言わざるを得ない。

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1990年代前半、ファーマーはCannibal Hookers同様低予算のスプラッターホラーを制作し続ける。カニバリズムや殺人鬼、バンパイアにロマンスホラーとその内容は意外と多岐にわたる。ここでは1993年公開の『Savage Vengeance』を紹介しよう。

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日本語に訳せば「野蛮な復讐」といったところ。男四人にレイプされた女が数年後に友人と共にまたもやレイプされ、復讐に燃えるという粗筋から『悪魔のえじき(劇場公開邦題:発情アニマル/原題:I Spit on Your Grave)』の続編と誤解されることが多いが本編を観れば分かるように全く関係ない。この映画も『悪魔のえじき』で主演を務めたカミールキートンが主演を務めているが全く関係ない。カミールキートンの演じる女主人公の名前が『悪魔のえじき』の主人公ジェニファーと同じくジェニファーという名前だが全く関係ない。公開時に一部で『I Spit on Your Grave Ⅱ』と宣伝していたが全くもって関係ない。あまりにも似ていると裁判沙汰にもなったが、全く似ていないし全く関係ない。

さて、この映画には普通の映画同様オープニングのタイトルクレジットがある。何もおかしなことではない。そこに違いがあるとすれば『Savage Vengeance』のタイトルが『Savage Vengance』とスペルミスしていることだ。

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しかし、この映画においてそれは氷山の一角であり些細なものである。まず肝心のレイプシーンであるがズボンを持っている男が唯一それだと確認できるシーンである。立っている男はズボンのチャックに手も触れない。草食系で手も出せないならレイプするなと言いたい。更にジェニファーの友人はレイプされた後殺され男のベッドに持ち込まれるのだが、その死体がまばたきをするのだ。もちろん首を切られて血を流しながら死ぬシーンはあるのだがその傷口が塞がっており、観客からすれば友人が急に大人しくなって男とベッドインしたようにしか見えない。これでは和姦ではないか。だが、この映画は前作Cannibal Hookersと違ってゴア描写にはある程度力を入れいている。先ほど述べた友人の死亡シーンは血糊をしっかり使っているし、ジェニファーが怒り狂い男をチェーンソーで襲うシーンで男の頭にめり込んでいるチェーンソーは殺す瞬間を直接映してはいないもののスプラッター映画のものと言っても差し支えないレベルである。

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惜しむべきは全編通してゴア描写がこの二箇所しか見受けられないことか。当然だが、スペルミスのタイトルクレジットやズボンを下ろそうともしないレイプシーン、二箇所しかないゴア描写、まばたきする死体のベッドシーンだけでは一時間というアンパンマン映画やしまじろう映画レベルの尺でさえ埋まるはずがない。ならばその尺をどう埋めるのか。そう。デビルシャークでお馴染みの無意味なウォーキングである。やはりこの映画にもデビルシャークに通ずるものがあったのだ。カミールキートンをひたすら歩かせ車でドライブさせ、また歩かせることで映画の尺の半分近くを埋めている。いっそのこと映画としてでなくカミールキートンのイメージビデオとして販売してはどうだろうか。

更に何を血迷ったかこのSavage Vengeanceも今年2019年にリメイクされることが決定した。

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事前情報はタイトルポスターのみだが幸い今回の監督はファーマーではなく、ジェイクゼルチという新人監督だという。彼の作品はIMDbでも未だ星すら付いていない、つまりマイナーすぎて誰もその作品を観ていない状態であり、彼がダイヤの原石なのか凡夫なのかそれともただのゴミ製造機なのか。それを見極める大事な作品であり、このリメイクには期待が高まる。I Spit on Your Graveシリーズを観ながら気長に待つとしよう。

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1990年代後半に入るとそれまでのスプラッターホラー路線を続けながらもアクションやドラマ、更にはアニメーションと様々なジャンルを手掛け始める。ここでは1996年公開の『Demolition Highway』を紹介しよう。

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前述したようにこの映画はファーマー作品にしては珍しくホラー映画ではない。アクションクライム映画である。五年間の刑務所生活からようやく娑婆に出てきた主人公フランクとギャングのボスであるザビエルがザビエルの隠し金50万ドルを巡り争奪戦を繰り広げるというのが大まかな粗筋である。アクション映画はカーチェイスや銃撃戦、肉弾戦などのスタントシーンを目玉にしている以上やはり予算がかかってしまう。それ故に低予算映画では避けられやすいのだが、ファーマーはそれに果敢に挑戦しカーチェイスも銃撃戦も肉弾戦も取り入れた正統派アクション映画にしたのだ。法定速度遵守のカーチェイスと編集で火花を追加した銃撃戦とメタルマンレベルの肉弾戦であったものの、アクション映画であることに変わりはない。ファーマー映画のカーチェイスでリアガラスが割れるシーンが見れるなど私にとっては感涙ものである。

しかしやはりファーマーはファーマーであった。まず問題なのはこの映画のストーリー構図である。冒頭で50万ドルを奪い逃走したフランクは奪い奪われを繰り返しながら結局、50万ドルを手元に有した状態でザビエルの手下たちに追われ続けるというラストである。そう、村上春樹の小説並みに映画の最初と最後で何も話が進んでいないのである。私は一時間半もの間一体何を観せられていたのか。更にその奪い奪われの内容も退屈なもので、銃で脅す→逃げる→捕まえる→銃で脅す→逃げる→捕まえるを繰り返すだけである。というより、この映画の大半は車に乗っているか銃で脅しているかのどちらかである。フランクと逃避行を共にする恋人サマーの言動もまともではない。道中でザビエルに攫われたサマーは父親の仇がフランクであることを伝えられ、ザビエル側に寝返ってしまう。もちろんフランクは父親の仇でも何でもなくザビエルの何の根拠もない真っ赤な嘘であるが、サマーは一切の疑いを持たずに信じ込み、フランクを銃で脅す。催眠術AVでもこう簡単にはいかないだろう。その後仲直りしたサマーとフランクだったが、またもやサマーが攫われる。しかも今回は攫っていったギャング集団に腕を縛られ首にロープをかけられ爪先立ちで椅子の上に立たされあわや首吊りというフランク最大のピンチ。しかし何故か没収されなかったナイフで拘束を解き、またサマーを助けに行く。そしてカットが切り替わりフランクは一瞬で敵の本拠地に到着する。フランクの車はギャングたちに奪われていたというのに。銃でギャングを脅すフランク。その銃はギャングたちに没収され捨てられたというのに。フランクを殺すよう命令されているギャングたちはフランクを囲んで追い詰め、バイクに乗せバイク勝負を挑む。フランクとギャングの一人が何やらバイクで円を描きながら走っているとどうやら決着が着いたらしくフランクは勝利し、結局そのまま逃げる。ボボボーボ・ボーボボでもまだ分かりやすいだろう。もっと言えば、なぜ早々に撃たない。そしてその後ザビエルから逃げ続けて話は幕を閉じる。

ファーマーは後にインタビューでこの映画はタランティーノ作品にに影響を受けたと話している。ここで、タランティーノ作品からどこをどう影響されたらこんな映画ができるのか、という野暮な考えは一旦置いておこう。公開時期からして影響を受けた作品とは恐らく『パルプフィクション』のことだろう。

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確かにこの映画には余計なメッセージ性も明確な着地点もなく、ハンバーガトーク(シナリオ作りのセオリーから逸脱したストーリーに関係のない会話)は無駄に多い。信念による古風な決闘を用意したり、銃で片方が片方を脅すという暴力の非対称が多用されるなどパルプ的な表現が多々見られる。タランティーノが量産された世俗的パルプ文学を映画にしたように、ファーマーもパルプ映画を制作したのだろう。だがタランティーノがストーリー性はともかく、良くも悪くもテーマ性を映画的に作ったのに対し、ファーマーはあらゆる点においてパルプ的である。映画として受けがいいのは間違いなく前者であるだろう。しかし、パルプ文学を下地にした映画とパルプ文学そのものを映画としたものを比べた時、後者の方が余分なものが多くパルプ文学として洗練されているように思える。映画という表現媒体であったがために全体を通して冗長かつ無意味に見えるこの作品だが、これがもし違った形で世に出ていればファーマーがパルプ文学の巨匠チャールズブコウスキーのようなカルトライターになったのではないか。そう思わせるような作品であった。

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2000年代に入るとそれまでの長編映画から短編映画へと徐々に制作をシフトチェンジしていった。元々一時間弱の尺で作っていたファーマーにとってはこちらの方が性に合っていたのかもしれない。だが、長編映画も一応は制作しており2004年公開のコメディ映画『Bollywood and Vine』ではなんとインディペンデント映画ロマンス部門で銀賞を受賞している。

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これが彼の唯一の受賞歴であることは言うまでもない。脚本はヒンドゥー教ヴィシュヌ神シヴァ神の伝説を少しベースにしたという。ファーマーの手広さがよく分かる。この作品でもファーマーが他の映画監督について意識しているのが分かる。劇中「Ed Wood has risen from the grave(エドウッドは墓から這い上がってきた)」というセリフがある。この作品がエドの影響を受けているかどうかは定かではないが、その存在は彼の制作過程の中で特別な意味を持っていのではないだろうか。

そして2008年公開の長編ホラーコメディ『Chainsaw Cheerleaders』からそれまで毎年のように作っていた長編映画制作を止め、短編映画でさえ殆ど作らなくなった。

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この間、ファーマーは俳優業に専念していた。元々ファーマーの映画デビューはジョージAロメロ監督『死霊のえじき(Day of the Dead)』のゾンビ役だった。

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その後も自作品他作品問わず俳優として活躍し続けてきた彼が俳優業に専念するのも頷ける。

そんなファーマーだったが2015年に7年ぶりとなる長編映画を制作した。それが『Shark Exorcist』そう『デビルシャーク』である。

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前置きが長くなってしまったが本題の『デビルシャーク』を観ていくとしよう。

まず観客をふるいにかけるための「私は自主制作低予算映画です」と自己紹介するかのようなSUICIDAL PRODUCTIONSによるオープニングロゴ。普段まともな映画しか観ていない映画好きはこの時点で視聴を止めるだろう。そして始まるのはセンス溢れるBGMとセンスのかけらもない悪魔信仰コスプレシスターの徒歩シーン。因みにこのBGMを手がけた作曲家は2年後に『ハウスシャーク』のプロデューサーとして活躍するのだがそれはまた別の話。

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シスターが湖に祈りを捧げようとしていると突然女が掴みかかってくる。が、適当に刺し殺し、湖の悪魔が操るサメ(以後デビシャ)への生贄として湖に不法投棄する。もちろん、浅瀬ではデビシャが食べれないので、生贄の死体は出来るだけ湖の中央に行くために手で水を掻きながら泳いでいく。動かない死体役を調達できないのもいつも通りのファーマーだ。一周回ってどこか安心する。

そして一年後、先ほどの湖に何が楽しいのか旅行に来たローレン、エミリー、アリの女三人組。ローレンとエミリーは夕方の日陰で日光浴、アリは湖で遊泳する。勘のいい視聴者ならこの時点でアリが餌役であることに気付くだろう。案の定アリはデビシャに襲われ、さっきまで立っていた浅瀬で迫真の演技を披露する。しかし悲しいことにCG技術の関係でデビシャは水面から出てこられないため、捕食シーンはカット。アリが襲われていることに気付いたローレンとエミリーが駆けつけるとそこには無残にも左足に切り傷を負ったアリが。

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包丁で指を切った時レベルの出血に「きっと助かる」「死んじゃいや」などと騒ぎ立てるエミリー。そしてアリは病院のER(救急救命室)へと運ばれた。切り傷程度で救急外来とは迷惑極まりない。

その後アリは奇跡的に切り傷から回復し、湖のある公園は警察によって封鎖された。しかし、もの好きはいるもので超常現象番組「ゴーストワッカーズ」の降霊師ナンシーとハンディカムを持ったカメラマンが取材に来る。ナンシーはカメラマン役のハンディカムに向かって司会進行をしているのだが、時折カメラマン役に背を向け映画の撮影用カメラに向かって話す時がある。

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これはカメラマン役がもう一人いると思い込んでいるだけなのか、虚空に話しかけているだけなのか、それともナンシーが第四の壁を越えることができるということなのかは定かではない。ナンシーによると既に三人の女がデビシャに殺されたという。ナンシーに乗り移った悪魔が言うにはこの湖は悪魔のもので近付く人間の魂と肉体を食ってやるとのこと。一方その頃切り傷一つから回復しただけで「一度死にかけたら人は変わるものなのよ」などと自己啓発本のようなことを言い出す元気一杯のアリは知り合った男と共に再度湖へ行き、二人で遊び始める。因みにこの時、ローレンがアリの元カレと付き合っているというあからさまな伏線が貼られているが、その伏線は回収されないので気にする必要はない。そして案の定男はデビシャに食われてしまう。ところでこの湖のシーンで終始子供が遊んでいる声が聞こえるのだが、これは一体何なのだろうか。

後日、デビシャの餌となった男の兄マイケル神父に弟の訃報が届く。ところで、マイケルの会話シーンの殆どに環境音が入っていないことからアフレコで音を入れていると思われるのだが、日本特撮映画の英語吹き替えレベルで致命的に口パクが合っておらず、非常に見にくい。急に出てきた女三人組が降霊したり、よく分からない女が目から血を流しながら墓場で仰け反り回ったり、アリが大麻やってるようにしか見えない女とプールでいちゃいちゃする夢を見たりと映画の内容に殆ど関係のない尺稼ぎシーンを挟みながら、マイケルは弟の死を何の根拠もなくデビシャの仕業と確信し、デビシャ退治へと赴く。

もう一度悪魔の声を聞くために湖にやってきた超常現象調査のナンシーとカメラマン。「いいかげんにしろ」と視聴者の声を代弁し帰ってしまったカメラマンをよそに、悪魔とのプレイを楽しんだナンシーは悪魔に完全に憑依されてしまう。そして彼女を尾行していた女記者に襲いかかり、吐瀉物をふりかけハードコアなレズプレイを視聴者に見せつける。

その後、アリが大麻女を湖に連れてきてデビシャの餌にしたり、その死体をひたすらジョギングして尺を稼いでいた男がまた嘔吐して死姦しようとしたり、ロストジョーズからパクってきた捕食シーンを流したりと本筋にはほとんど関係ないシーンが続く。

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一方、マイケルは一人でもストーリーを進めようと悪魔が乗り移っているアリを道中出会ったエミリーと共に探すことに。その頃アリは遊園地で次なる獲物を探していたのだが、この遊園地のシーンは五分近く誰も喋らない。ただただ映像がBGMと共に流されているだけであり退屈なだけである。そしてアリが獲物を見つけ襲おうとした時、マイケルとエミリーが駆けつけ、遂に悪魔と神父の直接対決が始まった。

アリを木に縛り付けたマイケルは十字架で悪魔に対抗しようとするも、十字架が小さすぎるらしく決定打にならない。十字架の大きさと効果には正の相関があるらしい。対処法がわからないまま悩んでいると悪魔がアリを助ける方法を教えてくれるという。やけに親切な悪魔だと思いきや、それに釣られ近付いてきた神父に向かってグリーンピーススープを吐きつける。ブチ切れてアリの首を絞めるマイケル。しかし、悪魔が乗り移っているとはいえアリの体であるためエミリーに止められ殺せない。悪魔曰くマイケルがアリの体の代わりとして体を差し出せばアリを解放するという。その要求に応えマイケルは自らの身を呈してアリを救うことに。マイケルとアリがキスするとマイケルに悪魔が乗り移り、目が赤く光る。因みにこのマイケルの俳優とアリの女優は実生活で夫婦なのだが、そんな二人に吐瀉物をかけ首を絞めさせた後にキスさせるファーマーはこの夫婦に何か恨みでもあるのだろうか。そしてエミリーと悪魔に取り憑かれたマイケルにデビシャが宇宙から襲ってきてマイケルの出番は終了する。

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何を言っているのか分からないだろうが本編を観たところで分からないままなので気にしなくて良い。数多く存在するサメ映画でも宇宙に行くサメは極少数で私の記憶している限りこの『デビルシャーク』と『メガ・シャークvsグレート・タイタン』そして『シャークネード エクストリーム・ミッション』くらいだろう。

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場面は変わり新キャラの女が登場し、曇り空だというのにマットをひいて日光浴を始める。この日光浴から始まるシーン全体に言えることだが、カメラマンの呼吸音までが終始収録されており極めて不快である。女が寝始めると、またもや新キャラの男が出てきて盗撮を始める。エンディングを除けば残り10分もないというのに惜しげも無く使い捨ての新キャラを投入してくる。男は盗撮を終えるとその盗撮した写真をその場で鑑賞するのだが、なぜ逃げないのだろうか。鑑賞し終えた男は黙って去っていくのだが、この盗撮もこの男もなんら話に影響しない。本当に一体なんだったのだろうか。女は起きると何かを見つけ怯え叫び始める。この時の叫び声が文字通り「グワーッ!」というセイウチとアヒルの鳴き声を足して2で割ったような声でとても不気味である。女が見たのはなんと冒頭に登場したアダルトショップに売ってそうなシスター衣装を着た悪魔信仰コスプレ女だった。恐らくほとんどの視聴者が存在を忘れていたことだろう。そもそもこのシスターは世界に復讐するために悪魔に生贄を捧げたというのに、一年もの間何をしていたのだろうか。

そしてこの時のシスターのセリフがデビルシャークの代名詞「悪魔万歳!」である。

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シスターが日光浴女を殺しナイフに付いた血を舐めていると冒頭に生贄にされた女が湖から現れ、シスターを湖に引きずり込み心中。

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この生贄女は一年間もシスターが水辺に来るのを待っていたのだろうか。

その後生き残っていたエミリーが湖の中に飛び込むとデビシャに変身しアリ(ローレン?アリの髪型が最初とラストで微妙に違うため判別困難)に襲いかかってエンディングを迎える。意味がわからないだろうが本編を観てもやはり意味は分からないので無視して良い。

そして無事エンディングと思いきやまた新キャラが出てきて水族館を歩き回る。サメのぬいぐるみを愛でたり水槽を眺めたりしているものの再度エンディングが始まるまでの七分半の間一切喋らない。しかもこのパートのラストで女はオレンジ色の何かを嘔吐する。一時間我慢して観続けて最後に見せられるのが嘔吐である。もうファーマーは視聴者の心を折りにきてるのではないだろうか。因みに再度エンディングが始まってもまだ本当のラストシーンがある。あの超常現象番組のナンシーが悪魔に取り憑かれたまま突っ立っているだけの映像なのだが結局これは何を伝えたかったのだろうか。最後の最後まで意図がわからず物語は幕を閉じる。

結局ファーマーの復帰作となり彼の監督作品の中では唯一日本でDVD化された作品であるが、やはりその出来はファーマー作品の中でも擁護のしようもない最悪と言っていい作品であった。復帰などせず大人しく俳優業に勤しんでいてほしいと思う一方、ファーマー作品の多くがリメイクや続編が制作されていることを考えると六年後くらいにリメイクや続編が制作されてほしいと少し思う。

ここでこのデビルシャークについて私の考えを述べようと思う。ファーマーはデビルシャークに大きく三本のストーリーを入れ込んだ。一本目はアリとマイケル神父を中心とした悪魔と戦う最も本筋と言えるパート(以後アリパート)。二本目は悪魔信仰のシスターを中心とした冒頭とラスト付近のパート(以後シスターパート)。そして三本目は超常現象番組の降霊師ナンシーを中心とした一本目と並行したパート(以後ナンシーパート)である。私はファーマーがこれらのストーリーを交わらせたかったのではないかと推測している。そう『パルプフィクション』のように。一本目のストーリーは元々アリたちのストーリーで、途中からマイケル神父が入ってきた形になる。このパートで明らかになるのは「デビシャを操る悪魔が乗り移る対象を変更できる」ということが最も大きい。悪魔はアリから神父へと乗り移る対象を変更している。このことから悪魔は同時に二人に取り憑くことはできないのではないか。これを当たり前と思うかもしれないが、本編で悪魔に取り憑かれている可能性があるのはマイケル神父、アリ、ナンシー、生贄の女だけでありその内アリとナンシーは取り憑かれているタイミングが一見同時に見える。しかしアリパートとナンシーパートに共通する登場人物は一人もいない。これは三つのパート全てに言える。つまり同一の時間軸であるとは限らないのだ。

まずシスターパートは冒頭に一年前と明示されているため時系列的には最初となる。ラストのシスターパートもデビシャ事件で警察に封鎖されているはずの公園に日光浴をしに女が平然と入ってきていることを考えると、封鎖される前、即ち一年前の出来事と考えられる。次にナンシーの時系列についてだが、これはアリパートの後だと推測できる。ナンシーの発言で「ここで死んだ3人の女性が答えをくれるかしら」というものがある。単純に本編で映される順番で言えばこの時点で死んでいるのはシスターに殺された生贄だけである。更にマイケル曰くこの事件は一般に報道されていないらしく、一介の弱小リポーターのナンシーが知っていたとは考え難い。ではこの3人とは誰なのか。実はアリパートでデビシャに殺されたのが4人、その内の3人が女である。具体的にはアリと仲良くなった大麻女、『ロストジョーズ』からの流用CGで殺された女子学生クラブの女、そしてデビシャに変身したエミリーに殺されたアリ(ローレン?)である。もしナンシーの言う殺された女性がこの3人であるならこの映画の時系列がシスターパート→アリパート→ナンシーパートであることが分かる。

この時系列が正しいと仮定して、悪魔の憑依先についても考えよう。まず冒頭のシスターパートではまだ誰にも取り憑いていない。その後ラストシーンで生贄に乗り移ったと思われる悪魔はシスターを湖に連れ込み殺害する。その一年後、悪魔はデビシャを通じアリに取り憑いた。その後悪魔自身がアリを通じてデビシャのエサを調達しているとマイケルに見つかり憑依先をマイケルに変え、宇宙からデビシャに襲わせた。この後エミリーがデビシャに変身しアリ(ローレン?)を殺害する。この変身の直前、エミリーがアリ(ローレン?)に「許して」と言っていることから余程の理由があり、デビシャとなったことが分かる。マイケルと悪魔の対決の際、アリを殺せばマイケルの魂が永遠に地獄を彷徨うことが悪魔によって告げられている。このことから、エミリーはマイケルの魂を悪魔から解き放つために代わりに自らの体を差し出したと考えられる。その後、悪魔はナンシーパートでナンシーの降霊術によってナンシーに憑依し、ラストシーンに至る。

以上が私の見解である。矛盾はないものの断言できる要素も少ないためあくまで一個人の考察として受け取ってほしい。

最後にこのレビューを書くにあたってデビルシャークを二週間で計十二回再視聴した。これ以上観る気は当分ないのでルーキーさん『シャークネード』シリーズか『シックスヘッドジョーズ』を送ってくださいお願いします。

 

追記:エンディングの水族館の女が何をしているのかドナルド・ファーマー監督本人にダメ元で尋ねたところ"fish obsession"という回答を頂きました。これがどういう意味であるかはみなさんの想像にお任せします。

 

 

 

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